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書籍:「日本人が知らない恐るべき真実 ~マネーがわかれば世界がわかる~」(★★★)
コメント:
前作ほどの印象は無かったが、ひとつの考え方としては相変わらず示唆に富んだ内容であった。
(
前作のエントリー)
本書籍では、日本は、このままでは財政破綻を避けることは難しいと指摘している。
国家破産の方法に関して、ジョン・メイナード・ケインズは「貨幣改革論」の中で以下の3通りあるとの事。
1.債務帳消し型
1)債務の返済を中止する。但し、日本は、国際的な信用を失い、日本円の暴落も予想される。
2)当分の間、預金を新旧に分け預金封鎖する。
2.債務所有者に対する資本課税型
1)大増税をして国民から税金を搾り取る。
3.財政暴力出動型
1)通貨供給量を増やして貨幣価値の大幅な下落「ハイパーインフレ」を起こさせる。
では、何故この様な状況に陥ってしまったのか?
法的な見地からみれば、本当は国家が銀行や企業の存在を認め、その営利活動を許しているからこそ銀行も企業も成り立っているのだが、国家が経済の分野を民間に委ねてしまっているので、建前としては国家が最高位にいても、実質的には銀行>企業>国家の順になってしまうとの事。
つまり貨幣経済社会においては、お金を持ち、それを操作できる力(=金融力)をもつ者が最も強力な権力を持つことになる。
根本的な原因は、以下の通りである。
1)お金は必要な分より常に不足している。
2)お金に「交通手段」と「価値の貯蔵手段」という相反する機能が付いている。
3)お金の使用に利子という利用料が付く。
4)お金は、本質的に債務であり、期限内に返済しなければならない。
5)お金は利益を求めて移動する。
6)お金の価値に裏付けがなく、価値は金融市場によって決められ、生活者には決定権がない。
7)お金の発行権が利潤目的の銀行に独占されている。
また、国民経済をマクロ的な視点で見ると以下の数式が成り立つ。
価格×物とサービスの量=通貨供給量×回転数
しかし、一部の富裕層はお金を持っていても、既に必要なもの、欲しいものは揃っており、余剰金は消費よりも投機に使われ、中間層は将来の不安に備えて余剰金があっても消費よりは貯蓄を優先する。一方、貧困層は生活だけで精一杯であり将来に備えての貯蓄も出来ない為、生活費を出来るだけ切り詰め、綱渡りの様な毎日を送る。つまり、生活圏の中で、お金が循環しなくなってしまうので、お金が回ってこない貧困層から壊死が始まっているとの事。
上記を鑑みると、麻生内閣の定額給付金に関して、一部の地方自治体が実施した地方振興券のように消費を更に促進する様な工夫が、もう少しあっても良かったのかな、と考えさせられる。
また、通貨の循環を「椅子取りゲーム」と評して、利子がある限り、いつかは、誰かが、椅子から漏れる(=損をする)、という表現は非常に判り易い。
また、「陽経済」と「陰経済」の考え方も面白い。
西洋人は、物事を見るときに、何事も二次元性を見ようとする。一方で、東洋思想では物事を二次元的には捉えず、一つの全体を形成する為に、陰陽の双方は欠かすことが出来ない部分であり、二つはお互いに繋がっていると考えるとの事。
「陰」の黒さがあるからこそ「陽」の白さがわかり、夜の暗さがあるからこそ昼の明るさがわかる。また、陽の中にも陰があり、陰の中にも陽がある。
ここで、事業とは、大きく分けて「陽経済」である投資を回収できる事業(=物理資本と金融資本を育てる)、「陰経済」である投資を回収できない事業(=自然資本と社会資本を育てる)の二種類に分類する事が出来る。
そして、陽経済は、陰経済からの絶えざる供給があってこそ成り立つのだが、最近は、陽経済の部分が大きくなり過ぎ、陰経済の部分を抑圧して来たので、全体にとって非常に危険な状況になっているとの事。
巻末のガンジーが遺した言葉には、改めて考えさせられる。
「目的を見付けなさい。そうすれば手段は付いてくる」
「世界の変化を望むのであれば、自分自身が変化を起こさなくてならない」
「重要なのは行為そのものであって、結果ではない。行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにも分かるとは限らない。だが、正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ」
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- 2009/03/27(金) 21:25:39|
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